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『若きウェルテルの悩み』 その4

■ロッテについて

ロッテは罪な女。ウェルテルの苦悩と死は彼女のせいだ。
自分にはアルベルトという恋人がいるのに、ウェルテルにも思わせぶりな態度をとって、
ウェルテルの心を弄んでいるようにしか見えない箇所もある。

ロッテは、種類の違う二人の男たちに愛されて、
彼女が二人を自分のものにしていることで初めて満たされているんだと思う。
アルベルトにはウェルテルにはないものがあって、
ウェルテルにはアルベルトにはないものがある。
当たり前なのだけど、
彼女はそのうちの一つを選ぶことができなくて、
二つ持っていることで完結していたんだと思う。
虫のいい話だ。とんでもない女だ。

でも
…分かる。
二つを一度手に入れてしまった人間は、そのうちの一つを捨てることを恐れる。
一つを選ぶということは、もう一つを捨てることに等しい。
選べないというのは、捨てられないということ。
でもそれは、実はそのどちらも
本当には必要としていないことの表れなのかもしれない。

私にとっては、ウェルテルよりも、むしろロッテの心理の方が興味深い。
同性ってのがやっぱりあるんだろうな。
同じ女だからこそ共感する部分もあれば、嫌な面も見えて批判したくなったりもする。

彼女にとってウェルテルとは一体どういう存在だったんだろうか。
世間的にはずっと評価の高いアルベルトという男がいながら、
ロッテがウェルテルと離れられなかったのは、
自分に対するウェルテルの情熱的な愛情を失うのが怖かったということと、
アルベルトとの間にはない、感性のつながりがあったからだ。
これは、築こうと思ってもなかなか築けるものではない。

とはいっても、ウェルテルみたいに、実害なしに、
自分を崇拝し、賛美し、愛し、求めてくれる異性の存在は、
女にとってはそりゃ大きい。
いないよりまし、とかそんなレベルじゃなくて、
その味を知ってしまったら、それを失うのが怖くなってしまうくらいの。
ただ、それは愛するということとは違う。

ロッテが本当にウェルテルを愛していたのか、それは謎。
ま、そもそも、「愛する」ということ自体、よく分からないのだけど。
作品の後半で、ロッテのウェルテルに対する気持ちがあらわになる場面で、
私はロッテに対する共感が一気に冷めた。

「ウェルテルが自分から離れてしまえば、自分という存在に二度と埋めがたい空隙がぽかりと口をあけそうに思われる。ああ、もしこの現在、ウェルテルという人を自分の兄弟に変えてしまえたなら。どんなにか自分は幸福であろう。―ひょっとして、自分の親しくしている女性とウェルテルを結婚させられたなら、ウェルテルのアルベルトにたいする関係をもまたまったくもとどおりにする見込みも立つだろうけれど。」(159頁)

何たること!
彼女にとって、ウェルテルは恋愛の対象というよりも、
兄弟とか身内とか、そういう関係としてキープしておきたいだけだったのか!?
ウェルテルって、ロッテにとっては単なる安牌なのか!??!!??

といってもまあ、これもロッテの心の中のほんの一部分でしかないのだろう。
その後、彼女とウェルテルとの最後の感動的なシーンが来るわけだし。
詩を朗読しながら涙を流し、そしてくちづけするあの場面。

だから、この言葉だけでロッテの心を片付けてしまうことはできない。
私も女だけど、いやほんと女心ってよく分からないな。
自分でも自分のことが分からないことが多い。結局、自分が何を求めているのかとか。

ロッテを見ていて思うけど、結局人の心って、
いろんなものが混在しているものなんだと思う、多かれ少なかれ。
一方ではアルベルトとの安定した生活を求めつつ、
他方ではウェルテルとの情熱的な刺激を求める。

ま、「欲張り」と言ってしまえば、それまでかもしれないけれど…

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