FC2ブログ

自由帖

ARTICLE PAGE

『若きウェルテルの悩み』 その2

■ゲーテの言葉で心に残ったものの一つ

何かを表現するということはどういうことか。
いかに書くかよりも何を書くか、彼が問題にしているのはそこだ。

「問題はつまり、すぐれたものをはっきりつかんで、それを思い切って表現するということにあるんだ。言葉はすくなくったって、むろんいろいろのことが含まれるわけだ。今日見た一情景なんぞは、そのまま写せば、飛び切りの牧歌詩だったろうが、文学だ情景だ牧歌詩だなんて、そんなものはどうだっていいじゃないか。自然の現象に親しんでいればいいんだ。技巧なんか何の役にも立つものか。」(21頁)

言葉で表現できるものなんて限られている。言葉にならないことだってたくさんある。
時々、言葉に振り回されることがある。
ちょっとした言葉が深く心に残ったり、何気なく言ったことが相手をとても傷つけたりすることがある。
その意味で、言葉は怖い。
「はじめに言葉ありき」という格言もあるように、
確かに、言葉は現象を作り出してしまう力があるとも思う。
「否定的なことばっかり言ってると、否定的な現象が起こるよ」というような意味で。
だから、軽々しく言葉にすることは多少なりとも危険を伴うものだと思う。
でも、言葉は絶対的なものでもないし、言葉がすべてではない。
去年、『人は見た目が9割』という著書がベストセラーになっていたけれど、
その中でも、そういうことが書いてあった。

最近、よく思う。
本当に大事なものは言葉にならないんじゃないかって。
相手の言葉ではなく、私の目の前にいる相手を見て、その相手を信じたいし、
私の言葉ではなく、あなたの目の前にいる私を見て、その私を信じてほしいと思う。
字面、書かれた文字、発した言葉にだけではなくて、
その人の表情や、声のトーンや、しぐさや、話し方でその人を見たり感じたりしたい。
だから、本当に相手に伝えたいことはメールでは書けない。

ウェルテルに話を戻そう。
彼は上の台詞の中で、言葉云々よりも自然を見ることを重んじている。
ゲーテの自然賛美ってのはすごいものがある。
詩でもそう。魂の歓喜!と言わんばかりの(やや大げさな)表現をする。

折しも、先日もらった言葉にこんなものがあった。

「自然は、誰のためにも開かれた最高の教科書である」

だいたい、こんな感じだったと思う。フランスの格言みたいなものらしい。
なかなかいいな。

自然を愛でると言えば日本人だってそうだ。
ただ、表現形式は西洋人とは全く異なるけれど。
例えば、和歌などを読んでいると、決して大げさではなく、控えめに、言葉少なに、
でも的確に自然を描写するあの豊かな表現力、
しかも自然や情景に自分の淡い恋心や切ない悲哀を重ね合わせて詠うあの技に、心底感動する。
しかも、それを五七五七七にまとめてしまうという技!
こんなことに雅を感じたり、そもそもこんなことができる民族なんて、
世界中どこを探してもいないのではないかと思う。

例えば、小野小町のこの歌は大好きです。しんみり…

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
  
(美しい桜の花はすっかり色あせてしまいました、むなしく降る春の長雨の間に。私の容色も衰えてしまいました、むなしくこの世を過ごし物思いにふけっている間に。)

最終的にはナショナリズムで締めくくる私。あしからず。

0 Comments

Leave a comment

テンプレートに関するご質問・不具合のご報告の際はご自身のブログアドレス記載必須です
ご質問の前に必ずお読みください ↓
FC2テンプレート ご利用時のお願い