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シェロー・ブーレーズの『ワルキューレ』

Die Walkure (2pc) Die Walkure (2pc)
Wagner、Hofmann 他 (2005/08/09)

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あらためて、スゴい作品だと実感。
う~ん・・・
人間の心理をここまで抉り出す舞台は
そうないと思う。

ワーグナー自身がリブレットと音楽に
人間の奥にある神秘をあますところなく描いていると思う。
それを見事に舞台上で表現したのが、このプロダクション。

レジーテアターの原型でもあるし、
それまでにはなかった新しい『指環』の可能性を表現した
シェロー+ブーレーズのこの舞台は
歴史的に見て、とても大きな意味を持つと思う。

当時(1970年代後半だったはず)では、なかなか受け入れられず、
ボイコット運動みたいなのも起きたくらいに
センセーショナルな舞台だったようだ。
今となっては古典に見えるけど。

だけど、解釈はすごく現代的。
今でも十分に通用する内容。

神々を雲の上の存在としてではなくて、
人間らしく、というか限りなく人間くさく演出して、
等身大の、身近な人間として示すことで、
観る人間の内部に迫ってくるものがある。

オペラは単なる「骨董品」ではないのだから、
時代を超えて受け継がれていくなら、
時代を超えて人間の内部に訴えかけてくるように
発信していく使命がオペラを運営していく人間たちにはあると思う。

しかしまあ、このブリュンヒルデ!(グィネス・ジョーンズ)。
なんとパワフルな。
実際に聴いたら、さぞド迫力だっただろう。
(映像はどうしても音声に手が入っているらしいから、
全体のバランスを考えて、彼女の歌はボリューム・ダウンされていると思われる。)

『ワルキューレ』を境に、
この壮大な『指環』の物語は
ヴォータンの劇からブリュンヒルデの劇になっていくわけだけど、
神から人間の女になって死んでいくまでの内面の移行を
ジョーンズは何と見事に演じきっていることか!
『ワルキューレ』における彼女と
『神々の黄昏』の最期の彼女はまるで別人のよう。

自己犠牲の場面では、彼女は純粋に人間になっているのだけど、
どんな苦難にぶつかっても、絶望のどん底に突き落とされても、
愛を全うして死んでいくその姿は、逆に神々しさを放っている。
まぶしい。

そして、『ワルキューレ』の主人公ヴォータン。
この神の長、
神だけど、人間的な部分がいっぱいあって、
その狭間のところで苦悩している男。

沢山求めるから、その分沢山傷つく。
権力も愛も欲しい。
で、結局はどちらも失ってしまう。

悪いことをいっぱいしているけれど、
彼はそのことで悩み、苦しみ、八つ当たりし、
彼自身もぼろぼろになる。
そこから出てくる音楽。
ブリュンヒルデと別れるときの歌。

いいところも悪いところも含めて人間なんだなぁと
ヴォータンを見ていると感じる。

だがしかし、
マッキンタイアのヴォータンはその力強さに欠ける。
そういう演出にしているというのも理由だろう。
一言で言えば、小市民的。
意気地のないオヤジ的性格が強い。
まあ、そういう解釈もあっていいかとも思うが、
彼のあの音楽をさらりと歌われると、ちょっとがっかり。

私には、古風な背広を着たあのヴォータンの姿には
ヴァーグナーの像が重ねられているように見えた。
あの人もまた、愛と権力を求め続けて生きて、
どうしようもないエゴイストで、
その結果、敵も沢山作って、すんごい嫌われた人。
重なる部分が確かにある。

でも、だからこそヴァーグナーは
あんな音楽を作り続けることができたんだと思う。
自分を曲げないで、誰が何と言おうと自分の音楽を作り続けたから。

うわ~…書き出すととまらない。
今日はこの辺で。


西条、12時の時点で-3度だった。
寒い… 今頃は-5度くらいかしら。
車が結構な氷になってる。

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