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カラヤンの『ラインの黄金』@BSハイビジョン

いろいろ思い出の詰まった作品を、改めてテレビで見ました。
カラヤンの演出はとっても純粋です。分かりやすい。
頭をひねらなければならないようなところがなくて、
これはこれで楽しめる。
よっぽどニーベルング族を悪者に描きたかったんだろうな~。
というくらいに、アルベリヒとミーメがまるで怪物です。
そこまでしなくても・・・と思うのですが。
でもまぁ、アルベリヒは「もじゃもじゃのちんちくりん」(ラインの娘の言)だから
仕方がないのでしょうか。

このプロダクションは、超一流の歌手がそろっていると思います。
どれをとっても、文句をつけるところがあまりありません。
特に、トマス・ステュアートのヴォータンがよかったです。
ヴォータンはどうしようもないところがある男だけれど、
ステュアートが歌うと、歌だけ聴いてたら、とってもノーブルでジェントルマンな感じがする。

ペーター・シュライアーが狡猾なローゲの役を見事に演じています。
私は彼の歌を『マタイ受難曲』や『魔笛』でしか聞いていなかったので、
ローゲはあまりに印象が違いすぎて、初めは彼だと認識できませんでした。
なぜか、つるっぱげになってるし。

堀内修さんが最初の解説の部分でおっしゃっていたように、
ローゲは『ラインの黄金』のみならず、『指環』全体を牛耳っている人物とも見なせます。
みんなを巻き込んで、世界をひっかきまわすのだから。
だけど、その大元までたどってみると、
そもそも、ラインの娘たちからアルベリヒが黄金を盗んだところに原因があって、
そしてさらにその原因をたどっていくと、
娘たちが彼をからかって彼のスケベ心を煽りるだけ煽っておいて、
いざアルベリヒがムラムラしてきたところで、彼を口汚く罵っていじめたからだ。

結局、一番悪いのはラインの娘なんじゃないか!?

その気もないのに、甘い言葉でからかったり、いじめたりしてはいけないよ、
との警告なのだろうか?

『ラインの黄金』には、いわゆるハイライト的なものはない気がする。
いろんな人が出てきて、いろんなことが起こるのだけど、
魂を揺さぶられるようなものを感じない。

だけど、ところどころに出てくる言葉が、やっぱりワーグナーの作品の本質につながっているように思う。
特に、ローゲやアルベリヒやミーメの台詞の中には、時に、はっとさせるものがある。
巨人族もそう。
軽薄なのはむしろ神々の方かもしれない、と思えるくらいに。

ドンナーとフロー、この作品に登場する意味がいまいち分からない。
いらないと思うんだけど。
お馬鹿な二人組。

**

それはそうと、『ラインの黄金』の後に、カラヤン+ベルリン・フィルのブラームス交響曲第1番が放映されました。
これがものすごくよかった!とても重厚な音作り。ああでなければ。
ただ、映像は、まるでカラヤンのプロモーションビデオ。
楽器を大きく写す、不思議なアングルで撮ったものが多い。
ずっと見てたら、酔いそうだ。一度も、全体像の映像がなかったと思う。

ブラームスは、重くて暗くて、初めはとっつきにくかったのですが、
聞いてみると、いいものですね~
第1番には、特に思い入れがあります。
この曲をはじめて聴いたのは、『愛と哀しみのボレロ』という映画の中です。
この映画ほど、スケールの大きな、ドラマとしても、芸術としても見ごたえのあるすばらしい映画はそうないと思います。
ベジャールの『ボレロ』がジョルジュ・ドンによって演じられる最後の場面は圧巻、
感動の涙をぼろぼろ流しながら見ました。
この中で、このブラ1の第1楽章が流れるのです。
冒頭から鳴らされる、あの一見単調なティンパニの音がたまらなくいい。

ブラ1は、実は一度も生で聞いたことがない。
どこかで聞けるとうれしいな~。
ブラ4は、ウィーン交響楽団の演奏で、楽友協会で聞いたのが最初で最後。
これもいい曲ですね~。
激しい情熱と悲壮感が入り混じっている気がします。
でも、ブラームスは、たとえばワーグナーとは違って、
音は音以上でもなく、以下でもない、
音は音そのものであって、それ以外の何をも表象しない、
というスタンスの人だったそうです。
最近、岡田暁生さんの本を読んでいたら、そう書いてありました。

得意の脱線しまくり日記でした。

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