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自由帖

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イプセンの『人形の家』

雪が降り続いています。
まさに、しんしん、こんこん
そういう擬態語がぴったりの今日の降雪です。
予報によると、明日の朝まで降るとのこと。
朝は車では出られそうにないです。

************

昨日は、勢いでひとつ仕事を片付けたので、
今日は仕事のことを忘れて読書三昧。
久々に戯曲を読みました。
イプセンの『人形の家』です。

人形の家 人形の家
イプセン、原 千代海 他 (1996/05)
岩波書店

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箱入りのお嫁さんでやってきたノラは、
一つの出来事をきっかけに、
それまでの自分の生き方に疑問を感じ始める。
そして、夫の言いなりにではなく、
自分自身の意志で生きていくことを決意し、
夫も子供も捨てて家を出て、一人で歩み始める。
そういうお話。

この作品は、女性解放運動を語る際には欠くことのできない存在です。
読んだことがなかった私は衝撃的な展開を予想していました。
意外に普通。これが、率直な感想です。

現代からすれば、このテーマは新しくはないし、
むしろ、時代遅れの感もあります。
この作品が世に出たのは、1879年、イプセンが51歳のときだそうです。
1879年だと、ノラのような自我に目覚めた女性は
まだまだ珍しかったのでしょうかね。

戯曲の中には、いくつか印象的な箇所がありました。
ノラと夫のヘルメルの会話から、二つを引用します。

ヘルメル:おれはおまえのためなら喜んで、夜も昼も働くよ、ノラ。おまえのためなら、悲しみにも苦しみにも耐えていく。
だが、たとえ愛するもののためだろうと、自分の名誉を犠牲にするものはいない。
ノラ:何万、何十万という女がそうしてきた。


こういうところに、19世紀の男性像に対する批判が表れています。
男性に対する効した見方は一つのステレオタイプにも見えますが、
実は普遍的なものだったりするのしょうか。
男性にとうてみましょう。

ヘルメル:おれは別人になってみせる。
ノラ:多分―あなたから人形が取り上げられたときにね。


人は、あるものを失ってみないと、本当には変わることはできない。
これは一つの真実だと思います。
「変わってみせる」とか「もう絶対しない」とか言ってるうちは、
本当には変わることはできなくて、
失ったり突き放されたりして、初めて変化は始まるものなのかもしれない。

ついでに…
数年前、知人がベルリンで誰かが演出した『人形の家』について語っていました。
(※オスターマイヤーのではなかったらしいです。ご指摘くださった方に感謝します。)
当時、私はこの戯曲を読んでいなかったし、舞台でも見たことがなかったので、
ふ~ん…くらいにしか思いませんでした。
しかし、読んでみると「なるほど!」と思いました。

戯曲では、ノラは、最後に夫に決別して家を出ていきます。
一見、その彼女を待ち受けるのは、完全なる自由と、新たな人生への希望です。
しかし、ベルリンの誰かの演出では、
彼女を待っているのは完全なる孤独。
家を飛び出したノラが暗がりの中、ぽつねんと佇んでいるところで幕、
という演出だったそうです。

とても現実的な演出だと思います。

夫も子供も失った彼女には、何の属性も財産もなくて、
無一文の裸一貫で世間に投げ出される。
その彼女に明るい未来があるはずもなく、
ただ孤独だけが横たわっている。
絶望的ですよね。
だって、夫の言いなりのいい嫁だけを演じてきた彼女は、
何も自分でやってこなかったし、何も築いてこなかったのだから。
要するに、何もない。


・・・たぶん。
弱気です。
だって、実際に自分の目では見ていませんからね。
ベルリンのシャウビューネに行きたいです。
何でもいいから、またあそこで何かを見たいです。
これ、今年の抱負に追加します。

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