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ベルリン国立歌劇場の『トリスタンとイゾルデ』

こういう上演には、そう出会えるものではない。
こんなにあっという間に時間が過ぎた舞台はなかったと思う。

私にとっては、今回で2回目となるクプファーの『トリスタン』。
2002年に観たときは、それほど感じなかったが、
今回は胸に突き刺さるような衝撃があった。

これまで、『トリスタン』で最も心が震えるシーンは、
第三幕で、やっと出会えたと思った瞬間に恋人が息絶え、
イゾルデが「ほんの一時間だけ…」というモノロークだった。
あれほど切ない愛の表現はないだろうと。
しかし、今回の『トリスタン』では、
第三幕の狂気と錯乱のトリスタンに強く心を揺さぶられた。
どうやったらあんな言葉と音楽が生まれるんだろう。
涙が出た。
フランツのトリスタンは、私が今まで聞いた中でも最高だったと思う。
マイヤーのイゾルデも、これ以上の人は今はいないのではないかと思えるほど。
高音が出ないと言われることが多いが、
それを補って余りある表現力と独特のまろやかな声。
バレンボイムの指揮も、あんなにいいものかと
初めて実感した。
だいぶカットされていたみたいで、
予定よりもずいぶんと早く終わった。
バレンボイムはその都度テンポが違うとかで、
終わる時間が変わることも多いのだとか。

まあとにかく、序曲から切ない気持ちにさせられた。
序曲の冒頭で幕が上がり、
まるでセピア色の写真のように、
主要な登場人物たちが
地に墜ちた天使の周りに立っている。
「全てが死」というマルケ王の最後のモノロークの言葉を
そのまま舞台に視覚化したような絵。
それが、第三幕の最後のイゾルデの歌の絵につながる。
セピア色の舞台で、
天使の脇にイゾルデがぽつねんと佇んでいる、あの最後の絵。

死と悲しみに落ちて行った人間たちの姿がこの舞台上で描かれる。
それがクプファーの演出の柱だ。
音楽との整合性という点に関しては、評価は分かれるかもしれない。
「愛の死」とあの救いようのない悲しげな情景は相容れないと、
私も思う。
しかし、クプファー曰く、
「愛の死」なんて、後から人が名前をつけただけで、
ワーグナーはそんなものを創ってはいない、ということらしい。
この主張は、この演出の中で一貫していて、
いたるところで示されている。
第二幕で恋人たちが再会する場面でも、
二人の間には常に微妙な距離がある。
第二幕でトリスタンが自滅行為的にメロートの剣に倒れたときも、
イゾルデは彼に手を伸ばすだけで、その手は届かない。
彼女はトリスタンの肌には触れない。
いつも二人には距離がある。

地に墜ちたあの天使のオブジェが全てを物語っている。
飛び立とうとしたけど、結局は墜落してしまった天使は、
二人で愛の世界に飛び出して行こうと思ったけど、結局挫折した、
トリスタンとイゾルデを象徴している。

パーペのマルケ王はとりわけすばらしかった。
これについては18日の日記で書いたので割愛。
クルヴェナールはロマン・トレーケル。
あの独特の柔らかい声は、
クルヴェナールという役には、個人的に少し違和感を感じる。
もっと太くて、ストレートで、ごつごつした感じの声を
私はあの実直で誠実でひたむきな従者に求めてしまう。
ブランゲーネのミシェル・デ・ヤングもよかった。
深みのある声で、あまり出過ぎず、
かといって存在感もしっかりある。
すばらしいキャスティングだったと思う。

初めてNHKホールに行ったが、
あんなに大きなホールとは知らなかった。
平日の3時から、あのホールがいっぱいになるんだからすごい。
決して安くはないチケットが完売だというのだから驚き。
2階の1列目という最高の席で、
最高のキャストで、
最高の舞台。
一生の思い出になるだろう。

1 Comments

オーレンカ  

ひとつだけ難癖つけるなら

「愛の死」をイゾルデが歌い終わって
終末に向かうとき、
オケの音が鳴りやむ前から
拍手をする阿呆がいた。

余韻を浸るまもなく、
拍手喝采になって、
ちょっぴり寂しかった。
他の日の上演では、
10秒ほど静寂があったとか。
それは17日の公演にはなかった。

2007/10/22 (Mon) 11:20 | EDIT | REPLY |   

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